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言葉

どれほどの言葉で表現しても完全に伝えられないということは、世の中のほとんどの人間が知り及んでいる。
しかしそれを分かっていながらも、私たち人間はいつまでも試行錯誤し、その度に落胆している。
愛を伝えられない。
憎しみを伝えられない。
感謝を伝えられない。
書き上げればキリがない。
否、これほど多様化した言葉で以てしても、感情を箇条書きにすることすら出来ない。
人間が普く一人につき一つの脳を持っている限り、感情を共有することは叶わないのだろう。
私はその事を一般的な大衆と同じようにしっかりと分かっていて、一般的な大衆も私と同じであると思っている。
だが彼らと私の圧倒的な差は、それらを踏まえながらも人を愛せるか否かという点だ。
彼らは言葉では伝えられないと口では言いながら、それでも人を愛することに意義を見出し、人から愛されることに幸福を感じている。少なくとも私にはそう見える。
私にはそこが分からない。
考えていることを完全に理解できない相手を、どうして愛せるのか。
愛されていると、何故確信できるのか。
メディアによれば、人を愛せば分かるらしい。本末転倒だ。
書籍によれば、人間不信の部類らしい。脳内を覗き見ることでもしない限り、私のそれは治らないんだろう。
医師によれば、恋愛嫌悪症らしい。私は嫌悪しているのではなく、ただ理解出来ないだけなのだが。
一目惚れの原理が分からないわけではない。悪人であっても情が沸くことだってあるだろう。
ただ、私はそういった突発的あるいは怠惰的な環境に感情が流されにくい体質であり、理解ができたところで何も変わらず人を疑い続ける。
たったそれだけのことだ。

新しい言葉は日々生まれ、表現の幅は広がり続けている。
いつかすべての感情を表現できるようになったならば、そしてそれを誰しもが自力で扱えるようになったとしたら、私は誰かを愛することが出来るのだろうか。
その予測も出来ぬ未来に対する羨望と不安の入り交じったような感情を、私はうまく表現できない。



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